破壊と創造

2018年08月03

サボテンはフラクタルで美しい


先日、竜神木を台木として、兜丸を接ぐことに成功しました。
 
僕が接木をしたのはそれが初めてだったのですが、種類の違うサボテンが、数日のうちに結合して、その後も共に成長を続けることに、僕は植物の不思議や神秘を感じて、すっかり接木の虜になってしまいました。
 
そして、二回目の接木として、短毛丸を台木に、新しく買って届いたばかりの烏羽玉を接いでみました。
 
この短毛丸は、数年前、大阪の西成で屋外に放置されてプラスチックのプランターをバキバキに割ってモリモリに育っていたものの、ほんの端っこの、子吹きした指の先ほどを持ち帰って植えたものがドンドン大きく育ったもの。
 
なので、どんな環境でも逞しく育つことはわかっていて、なので、台木として最高だろうと思ったのでした。
 
さて、せっかく育った短毛丸なのですが、接ぐため、上の部分を切らなければなりません。
 
しかし、カミソリの刃では刃渡りが足りず、仕方なく包丁で切ろうとしたのですが、硬く、棘も大変に痛く、ゴリゴリと乱暴に切らざるを得なくて、そんなことをしながら、近年、しょっちゅう家に来てくれて、一緒にたくさんの時間を過ごしていた親友の女の子のことを思い出しました。
 
僕は先日、彼女と絶交したのです。
 
 
彼女と二人で過ごしている時はよかったのですが、他の人とも一緒に過ごしたり出掛けたりしようとすると、彼女は大概、その企画や人間関係を破壊するのでした。
 
よく考えてみると、もうずっと昔から彼女はそうやって僕の人間関係を壊して来たのだけれど、 僕は今回、彼女がその破壊をわざとやっているのだと気が付いて、もう関わるのを辞めようと決心したのでした。
 
彼女にとっての破壊は、彼女が自分の存在を主張するための表現行為のようなもので、彼女が何かに対する目標も持たず自ずとそうした目標のための努力もしない限り、彼女は自らの表現行為としての破壊行為を続けるのだろうな、と。
 
創造の行えない人間にとっては、破壊が表現であるのだな、と。
 
 
 
短毛丸をどうにか水平に切った後、僕は同様に根の部分を切った烏羽玉をその上に載せました。
 
切り口の上に載っかった烏羽玉が、どんな風に育っていくのか、僕はとても楽しみです。