魂を写すことと魂を奪うこと

2018年04月25

僕の毛むくじゃらの胸で眠るyurinaちゃんと、高校生の時に買った荒木経惟全集の陽子さんの巻、1996年の初版本で、数年前に荒木さんにサインをしていただいた


僕が最も影響を受けた写真家は、荒木経惟さん。
 
今、長年撮影をして来たモデルさんのKaoRiさんから告発をされ、大きな波紋の中心にいる写真家さんです。
 
 
僕が荒木さんに大変な興味を持ったのは、高校に入って間もない頃だったと思います。
 
妻の陽子さんを愛し賞賛しつつ、その他沢山の女性の過激な写真を撮影している荒木さんの存在は、とても謎だったし、妻の陽子さんとの関係は、女性とお付き合いしたこともない僕には、それこそ大変な謎でした。
 
僕は、荒木さんと荒木さんの写真を通して、愛の謎と愛の多様性の存在を知った心地がしました。
 
そして「私写真」という、私生活、実生活を芸術に昇華させることが出来るという、自分の実人生に心底失望していた僕にとっては、まるで魔法のような手法があることも知りました。
 
また、撮影技術を排除することで、現実や被写体の存在を際立たせる手法は、僕の写真にも根付いていると思います。
 
 
さて、私写真という、写真においてはビジネスとは真反対の姿勢で写真を撮り、契約書等を取り交わしもせず、様々な手続きを踏まずに作品作りをして来た荒木さんが、KaoRiさんから告発されたのは、時代の必然かなと思います。
 
ただ、KaoRiさんの被害が確かなものであったとしても、荒木さんには加害する気持や加害の自覚がなかったであろうことを僕は信じて疑わないので、ただただ、写真家とモデルとの間に認識や意識の齟齬があったことが残念であり、また悲しくてなりません。
 
16年間、KaoRiさんに荒木さんが注ぎ続けて来た「写真家としての愛情」が、こんな結末を迎えたことが、僕には本当に悲しい。
 
そして荒木さんとKaoRiさんの関係性は、僕の作品の主軸である「僕の私写真」での写真家とモデルとの関係性にもまた、当てはまるものだと思っています。
 
 
例えば、スタジオで非日常的なストロボの光を浴びて「撮影中」に撮られる写真が「シルエット」であるとするなら、シルエットしか写っていない写真では、それほどトラブルになることもないだろうと思うのです。
 
共に暮らした実生活の中で、恋人や友人としての人間関係と地続きで、撮影中などという区切りが有るわけでもない僕の創作活動は、彼女達の「魂」を写しているとも云えるのではないでしょうか。
 
僕の写真は、格好良く言えば魂を写し、またそれはある意味で魂を奪っていたのかなと感じることが、この頃多くなりました。
 
 
僕の撮った写真は、僕の持つ数少ない財産である才能が作り出した、僕の作品という財産ですから、簡単に捨てたり諦めたり出来ません。
 
ただ、魂を取り返そうとする彼女達の気持がわからないわけでもありません。
 
 
僕の胸で眠るyurinaちゃんの写真も、いつか自分の魂を取り返そうとするyurinaちゃんに、
「削除して欲しい」
と言われるのでしょうか?
 
僕にはまだ、どうしたら良いのか、解決策がみつかりません。